佐久市浅科に新規就農した青年を訪ねたときのこと。その日は天気が良く、田植えを終えたばかりの水田は穏やかに青空を映していました。
近くを流れる鹿曲川(かくまがわ)は蓼科山を源とする清流で、江戸時代はじめに市川五郎兵衞という人が、この川から水を引いて新田開発を行いました。この『五郎兵衞用水』のおかげで浅科の不毛の原野は潤い、今では名高いお米の産地となりました。
畦に立ち、川に目をやりつつ「さすが、きれいな水。おいしいお米が育つわけですね」と伝えると、青年から「このあたりの川の水は冷たすぎて、稲作には不向きなんです」という意外な答えが。
では、どうするのかとたずねると「いったん溜池へ水を引き入れたり、水路を通すことで水温を上げるんです」とのこと。そうか、用水路には水を温める役割もあったかと、はたと納得する瞬間でした。
田んぼから水路へ、川から山へと思いを馳せ、雪どけ水の冷たさを思い浮かべました。そしてお米作りに奮闘する青年と、用水路を開削した先人が重なって見える思いがしました。(編集部・T)