現在佐久市の一部となっている旧浅科村は、はるか昔は山に囲まれた湖だったそうです。そのため、八ヶ岳や浅間山の火砕流から守られ、湖に蓄積された強粘性の土壌がこの狭いエリアに残りました。
その強粘性の土が水をしっかりと保持し、ミネラルを土壌内に蓄積させることで米作りに最適な環境が整いました。
農作業が始まる前の旧浅科村圃場
江戸時代文禄2年に市川五郎兵衛真親は家康公より賜った朱印状にて鉱山開発と新田開発の道を選びました。その後、寛永3年、小諸藩主松平因幡守より開発状をもらったのち、私財を投じ5年余りの歳月をかけて遠く八ヶ岳連峰蓼科山から農業用水を引いたそうです。その水路は「五郎兵衛用水」と呼ばれ、長さ20キロにも及びます。
この用水路を利用した400ha程の田んぼで栽培された超希少米を、その名の由来から「五郎兵衛米」と呼んでいます。
五郎兵衛用水を使用した田んぼの田植え
旧浅科村のエリアは標高600m~700mくらいでコシヒカリの栽培にも適しており、昼夜の寒暖差があることでお米がしっかり登熟していきます。
5月中旬から田植えが始まり、コシヒカリの収穫は9月中旬から10月上旬にかけて行われます。新米出回り時期は少し遅いですが、10月中旬にはしっかりと旨みがのった五郎米衛米を味わうことができます。
五郎兵衛米の収穫
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